7月のはじめに、とても悲しくて。
悲しくてやりきれない事が襲ってきた。
今まで生きてきて、こんな気分ははじめて。
まさに《悲しくやりきれない》の歌のように。

「この限りない むなしさの 救いはないだろうか」

やりきれないとか、むなしいとか。
この身をもってじわじわもやもや感じている。
心にポッカリ小さい穴が空いている感じ。
わりと私はネガティブを一周回ってポジティブに考えられるタイプなのに、今回ばかりはどこにもポジティブに考えられる要素が無くて。
ただただ《無常》を感じるばかりです。

そんな中でも小田原に行ったり、清里に行ったり、
夏を楽しむ予定があって、とても楽しかったけど、でもどこかで心が空っぽになっていて、、、、心の隅っこの隅っこがむなしいのです。
どんな時も、イマが大事ってわかっているのに。
宙ぶらりんになったこの気持ち。
どこへ向けていいのやら。

悔しいな。
悲しいな。
《やりきれない》ってこういうことか。
どんなに頑張っても、時間は巻き戻せない。
今まで自分がどんな狭い考えの世界にいたんだろうか。
何か出来なかったかな、、、、とかなんて思ったりして。

あー悔しい。

生きている人しかできないことがある。
東京ではお盆は七月。
生きてるから、もっともっともっと幸せになろうと思う。
コトリンゴさんが歌う《漂う感情》や《悲しくてやりきれない》が染みる日々。

「幸せになるようにまたひとつ息をした」って歌詞だけど、今の私には《幸せになる為にまたひとつ息をした》の言葉の方があっているかも。

ひとつ。ひとつ。ふー。ふー。
幸せになる為に、生きる。
生きる為に息をする。

幸せの形を残すように写真を撮りたい。